#318 本当の日本人の生き方①(縄文時代の日本人)

たぶん、わかっている気になっていて、本当はわかっていない。

「今を生きる」「幸せを感じる」ってどういうことなんだろう?

それは、縄文時代の日本人が教えてくれています。

アラフィフ単身赴任サラリーマンのえびすたま剛です。

本当の日本人の生き方

突然の温泉での話から

話は作家でyoutuberのひすいこたろうさんが温泉で突然SHOGENさんから声をかけられて、ある話を聞くというところから始まります。

ひすいこたろうさんは、「物の見方をどう考えたら、人が幸せになれるのか、可能性の扉を開けるのか、考え方・物の見方を研究している」という方ですね。

このひすいこたろうさんが、これは温泉で自分だけが聞いて終わるような話ではない、多くの日本人に聞いてほしい!!!と思ってすぐにyoutubeを収録、すぐに書籍化されたそうです(「今日、誰のために生きる?」廣済堂出版)。

その突然話しかけてきた方がペンキ画家のSHOGENさん。

SHOGENさんは6色(黒・白・赤・青・黄・緑)のペンキを使って描くティンガティンガというアートで、6色を混ぜながら下書き無しで描く手法で、絵を描かれている方です。

このアートは1960年代にエドワード・サイディ・ティンガティンガさんという人が、手に職を持って親戚同士でアートで生きていけたらということで始めたのがこのアートだそうです。

<ティンガティンガのルール>
・下書きをしてはいけない
・必ず6色以内で描くこと

下書きをしてはいけないというのは、下書きをすると絵に勢いがなくなるからだそうです。

そして、6色以内である理由は、人間が直感で選択できる最大の数が6だからだそうです。

これは日々の生活も同じで、物にあふれた暮らしをしていればいるほど、本当の自分の心の中の中心に迫れなくなる、ということなのですね。このアートを習いにSHOGENさんはアフリカに行きました。

SHOGENさんの引き寄せ

SHOGENさんが元々画家だったかというとそうでもなくて、それまでは化粧品会社でサラリーマンをしていたそうです。

小さい頃から絵は好きだったそうですけど、地元が京都の田舎で帰省の際に京都市内の雑貨屋に寄ったら、白い壁に1枚のペンキアートが飾ってあって、夕焼けの背景で楽しそうに動物たちが遊んでいる絵だったそうです。

そのペンキの色鮮やかな発色が目に飛び込んできた瞬間、これで生きていくやろって言われた気がして、よしこれで生きていこう!と思ったのだそうです。

どこの絵か聞いたらタンザニアということで、もう行くしかないと思って絵に出会った夕方に1か月後のフライトのタンザニア行きチケットを取って、次の日に退職届を出したそうです。

思ったら即行動ができていますが、SHOGENさんは元々は石橋をたたいて渡るようなタイプだったそうですが、もうこれで生きていこうと思った。このような感覚になったのは初めてだったそうですね。

そして、アフリカに旅立って、ティンガティンガ村の、トタン屋根の下で常時40~50人の画家さんが黙々と絵を描いているという工房に行きます。そこで初めて声をかけてくれたのがノエル・カンビリという40歳くらいの男性だったそうですが、その人がSHOGENさんの絵の師匠になります。

ノエルさんからは「ここで絵を習うことはできるけれども受講料が高いので、もしよかったら自分が住んでいるブンジュ村で一緒に住みながら絵を描かないか?」と提案されてSHOGENさんはそれを受けます。

いきなりやってきた外国人に対して、このような提案もスゴイですが、後々SHOGENさんが日本人だったからブンジュ村に連れて行ったということがわかります。

そうなんです、この村に日本人の秘密が隠されていたのですね。

ブンジュ村に残る縄文時代の日本人

SHOGENさんがブンジュ村に着いて、まず村長さんに挨拶に行けと言われて行ったら、70歳くらいの長身華奢で寡黙そうな村長さんで、そこで「この村には幸せの3か条があるから、それがあなたの中にあるんだったら村に入っておいで」って言われます。

<ブンジュ村の幸せの3か条>
①ご飯が食べられるということに幸せを感じられているかどうか。
②ただいまと言ったら、おかえりと言ってくれる人がいる。これは家族でなくていい、血が繋がっていなくていい。
③抱き締められたら、温かいと感じる心がある。

そして、一つだけ村のルールがあるからそれを守ってほしいと言われます。

<ブンジュ村のルール>
・村人とケンカをしてしまったら、必ずその日のうちに解決してね

なぜかというと、やいやい言い合いをしている大人を子供は見たくないから、だそうです。

ある日、SHOGENさんと村の20歳くらいの男性と朝から文化や価値観の違いで言い合いをして昼になっても止まなくて夕方になります。そしたら、彼がSHOGENさんのところにきて、「海に来い!」って言われます。

SHOGENさんは「沈められるんちゃうかな?💦💦」と思ったそうですが笑、海に行ったら腰まで海に浸かって向かって立て、20メートル離れてそこで海に浸かって向かい合ったまま待ってて、と言われます。

待っていると丁度夕方の6時前くらいにその村の男性とSHOGENさんとの間に夕日が沈んできて、夕焼けの水面ができたのだそうです。

そこで彼が「SHOGEN、これ何だと思う?これはね、温かい境界線だよ♪もう、ケンカは終わりにして一緒に帰ろう!」と言います。

「SHOGENね、人というのは自然から生まれてきただろ?だから、人というのは圧倒的な自然に飲み込まれたときに全てのことを許せるんだよ。そしてね、こいつ腹立つな~!って思う人との間にも温かい境界線ていうのはあるんだよ」

SHOGENさんはティンガティンガの絵を描く技法を学びにタンザニアに行ったつもりが、毎日人との向き合い方や、それがさらに深まって本来の日本人が大切にした思いというのをこんこんと語られるという日々を1年半過ごすことになります。

・・・ここで不思議に思いますよね??タンザニアのブンジュ村でなぜ本来の日本人が大切にした思いを語られるのか??と。

SHOGENさんが最初に村長さんに会ったときにもう一つ言われたことがあります。

<SHOGENさんがもう一つ最初に村長さんに言われたこと>
・この村に入った日本人・外国人はSHOGEN、お前が初めてだけど、この村には実は日本人の文化とか価値観が色濃く反映されている。
・村長さんのおじいさん、120~130年前に生きていたおじいさんが村でご祈祷や御神事をするシャーマンで、よく夢の中で日本人と繋がっていて、みんなで幸せに生きていくためにはどうしたらいいのか、自然と共存するということはどういうことなのか、生きていく上での大切なこと全てのことを習った。

SHOGENさんが「どんな生活をしていた日本人だったのか?」と聞くと、村長さんはこのように答えてくれました。

<村長さんのおじいちゃんが言っていた、夢の中の日本人>
・夢の中の日本人は、穴を掘って竪穴式住居に住んでいた。穴の中に入ってしゃがむと自分の目線がアリと同じ目線、大地と同じ目線に来る、そんな人たちだった。
・女性をモチーフにした土器をたくさん作っていた

そして、彼らは当時の日本列島の地図、日本海が大きな湖だったというような地図を描くそうです。

当時の日本列島は1万年~1万5千年続いた時代で、亡くなった人に刺し傷や切り傷がない、本当に愛と平和で溢れかえっていた時代で、そんな時代の日本人から日本人の文化や価値観を教えてもらったのだそうです。

ブンジュ村ではそのおじいさんが夢で学んだ日本人の文化や価値観を口伝の形で教えを伝えてきて、初めて日本人として訪れたSHOGENさんが受け継いだのですね。

そして村人はSHOGENさんにこう言います。

<ブンジュ村の人々のSHOGENに対する感想>
残念ながら初めて出会った日本人があなたSHOGENだった
SHOGENは心にゆとりもないし、本質に向かえていないし、本当にSHOGENは日本人なのか?
・おじいさんから聞いていた日本人と違うぞ、SHOGENは!

そんなSHOGENさんに対して、ブンジュ村の人々は色々な気づきを与えてくれます。一番の気づきを与えてくれたのが、ザイちゃんという3歳の女の子だったそうです。

例えば、SHOGENさんが昼ご飯を食べ終わってゆっくりしていると、ザイちゃんがきて「えっ?!歌わないの??」って言ってくるそうです。

「どういうこと?」
「いやいや、お腹いっぱいになったら嬉しいでしょ?嬉しかったら歌うでしょ?自分の心が喜びに溢れたのであったら、それをちゃんと感情表現しないと生き物としておかしいし、身体に良くないでしょ?日本人なのに不思議だね

彼らにとっては、日本人は日常に溢れる小さな喜びを拾い上げるプロ、なのですね。

日本人は、縄文時代の日本人はそもそもそういう風に生きてきたのですね。

そこまで遡らなくても、江戸時代の幕末に日本を訪れた外国人たちが口々に、「不機嫌そうな人を町で見たことがない」と言っているそうですね。町中が笑い声に溢れていた、と。

だから、日常の小さな喜びを拾い上げるという感性はそんなに遠い日本人ではなくて少なくとも江戸時代あたりまでは色濃く残っていたのではないかと思われるのですね。

<ブンジュ村の人々の縄文時代の日本人の認識>
・自己愛に溢れていた。
・自己肯定感が物凄く高かった。
・息を吐く時の自分、そして息を吸う時の自分に物凄い喜びを感じていた。
・朝起きて裸足で外に出る時の一歩目踏み出す時の左足のつま先が地面を踏む感触までも愛していた。
・朝起きて顔を洗う時、手で水をすくう、その手の形の丸みがなんて美しくて可愛らしいんだろうということを自分に語りかけてあげていた。
・何か大きなプレゼントをもらったから嬉しいとかではなくて、自分の普段の所作に物凄い喜びを感じて、とことんまで愛してあげていた。常に心が満たされていた人たちだった。それが当時の日本列島に住む人、日本人だった。

そのような認識の元で、村人がSHOGENを見るとヒヤヒヤするそうです。

<村人がヒヤヒヤさせるSHOGENに言いたいこと>
・自分を置いてけぼりにする瞬間をよく見る。
・SHOGENは困っている人を見つけたら、今すぐ駆けつけて助けてあげたいという優しい気持ちを持っているのはスゴイ
・世界中の人の心の中には喜びのグラスというものがあって、その喜びのグラスが水で満たされて一杯になって溢れる。その溢れた分で人に愛を注いだらいい。
今のSHOGENのグラスの中の水は磨り減って枯渇している。
・この世の中で起きる全てのトラブルはこの水が磨り減っている人達が誰かに何かをやってあげようとした時に起こるんだよ。
・あなたの周りに幸せにしたい大切な人がいるのであれば、まずは自分の心を喜びで満たそうね。
・それを本来あなたたち日本人は出来ていたでしょう?

ブンジュ村ではおじいさんの世代が受け継いだ口伝がちゃんと浸透していたのですね。

そして自分たちのことを「見た目はアフリカ人だけど、魂は日本人」と言っていたそうです。

・・・・えびす、久々に猛烈な衝撃を受けています。これ、1回で終わるわけにはいきません!!次回に続きますね~♪

今日のTwitter(れちゃん)

この感動を引き継げるのはれちゃんだ!!!

ということで、れちゃんです♪ れちゃんをみたら、えびすは喜びで満ち溢れます💗

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