#290 日航機墜落事故の真実

1985年8月12日に起こった日航機墜落事故について、本当に事故だったのか?どうなのか?迫っている動画をご紹介したいと思います。

アラフィフ単身赴任サラリーマンのえびすたま剛です。

↑何か月も前に投稿された動画でしたが、本ブログでアップしたら当日に非公開になりました。ここでアップしたから??。。。まさかね

日航機墜落事故の真実

事故の概要

日航機墜落事故は羽田→伊丹行きの日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故で、乗客乗員524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名で単独機の航空事故の死亡者数として過去最多でありました。

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えています。会社の社長や役員、子供VIPというJALのキャンペーンで一人で乗っていた12名の小学生もいました。

この事件、当初からおかしなところが多数散見されています。

遺族は当時の政府の説明に納得できなかったので、国交省に何度も再調査の依頼をしています。

<墜落までの流れ>
・JAL123便は定刻より12分遅れて1985年8月12日18時に離陸
・18時20分過ぎ、相模湾の上空あたりで機内で爆発音がする。
・客室は白い霧が一瞬立ち込めたがすぐに消えた。
・酸素マスクが落ちてきたので乗客は全員酸素マスクをつけた。
・CAは冷静になって酸素が出ていないマスクのチェックをした。
飛行機の操縦に欠かせない油圧系統が4つ全部効かなくなった。
・管制塔に機体が操縦不能であることを伝えた。
・機長副機長機関士の3人は何が原因なのかわからかなった。
・上下左右に揺れる機体を羽田に向かわせようと必死に操縦した。
・羽田よりも近い米軍横田基地からもいつでも着陸可能の電信が何度も届いていた。
 (とされているが、現在公開されているボイスレコーダーには残っていない)
・横田基地への着陸を諦めたJAL123便は群馬の山岳地帯に向かって飛行していき、18時56分30秒に群馬県御巣鷹山に墜落した。

 

表向きの原因

原因は圧力隔壁が破損したために垂直尾翼をほとんど吹き飛ばされてしまって油圧系統が失われたためとされました。これは1978年に着陸時に機体後部を滑走路に擦ったときにはいった圧力隔壁の亀裂の修理を行ったボーイング社のミスとされました。

ですが、当初から専門家やジャーナリストからは、墜落してから救助隊が到着するまでに13時間もかかっていることなどの疑問点や不信な点を指摘されていたのですね。

米軍から墜落位置の情報や墜落現場近くの住民からの連絡があったにもかかわらず、です。なぜ、すぐに救助に向かわなかったのでしょうか?

墜落した時の時刻はまだ薄暗い時間帯で、墜落現場近くの村人たちは畑で作業をしていて、警察に墜落地点を正確に伝えています。

ところがTVではその情報を無視するように墜落現場が長野県小倉山であると警察が会見しています。そのため、報道陣は一斉に長野県小倉山へと向かっています。墜落直後の現場は見ることができていないということですね。

 

米軍の動き

事件から10年後に米軍を退役した米国人元中尉のマイケルアントヌッチは当日の模様を米国の新聞に話しています。

・墜落直後の19時15分に山が燃えているのを確認したので、横田基地に連絡するとそのままその位置で情報収集するように指示を受けた。
・米軍は厚木基地から海兵隊を派遣して救助することにしました。
・現場に到着した海兵隊員のうち2人を地上に降ろそうとしたときに、ただちに基地へ戻るように命令された
・マイケルアントヌッチは驚いて、今から現場に降りるところだと伝えても基地からは日本側が救助に向かうから戻れの一点張りだった。
・基地に戻ると、「今日あったことは他言しないように」と命令された。

米兵に現場を見せないようにしたのですね、なぜでしょうね?

自衛隊は正確な墜落位置を米軍から連絡を受けていたにもかかわらず、救助に行くまでに13時間もかかったことについては、当時の司令官は「米軍から墜落位置は知らされていない。暗い中で現場に降下するは自殺行為だ」とインタビューに答えているそうです。

ですが、米軍は当時から夜間の救助は十分に可能だったそうですね。

 

JAL123便の垂直尾翼とオレンジ色

さて、ここで政治家が出てきます。JAL123便の垂直尾翼が相模湾の海底に沈んでいますので、当時の中曽根総理はどんなにお金がかかっても原因を究明すると言っていたそうですが、相模湾の海底探索は予算との兼ね合いから一部を回収しただけで肝心の垂直尾翼を回収せずに終了しています。

水深はたったの160mです。垂直尾翼は事故の原因を知るために一番重要な部分です。なぜでしょうね?

JAL123便の乗客が窓の外を撮った写真があって、そこには黒い物体が映っていました。現在の技術で詳細を調べると黒い物体はオレンジ色であることがわかりました。

自衛隊の無人標的機は当時オレンジ色に塗っており、自衛隊の無人標的機がJAL123便の垂直尾翼に当たったのではないかと疑われています。

また、事故が起きた当日、自衛隊は静岡県沖でミサイル訓練をしていました。そして、墜落した当日に自衛隊の隊員が知り合いの元隊員に「大変なことをしてしまった、民間機に標的機を当ててしまった。百里基地から偵察機2機を追尾させている」と電話しています。

さらに自○した自衛隊員が仲間に託した写真に相模湾から引き揚げられたJAL123便の一部にオレンジ色がついていました。JALの機体には白・赤・青しか使われていないのに、オレンジ色がついていたのはなぜか?そして、その機体の残骸はそのままJALの倉庫にしまわれています。

なぜ、この自衛隊員はこの写真を残して自○したのでしょうか?自衛隊の中ではオレンジ色は禁句だったそうで、絶対口外無用の命令に良心が耐えられなくなっていったのでしょうか?

当時もし相模湾から垂直尾翼を引き上げていたら、垂直尾翼にオレンジ色がついていた可能性は高いですね。そのため、事件後1年10か月経った時点で、海底探索を打ち切ったのかもしれません。

当時中曽根政権は軍事予算を上げようとしていました。そんな時に自衛隊の不始末で520人が犠牲になったと聞いたら、間違いなく日本国民は軍事予算を上げることに大反対したはずですね。ですから、自衛隊の不祥事を隠そうとして救助しなかったのではないかという疑問がわいてきますね。

 

ボーイング社の圧力隔壁修理ミス??

圧力隔壁の破損→客室内には真っ白な霧が立ち込めて乗客の耳が痛くなって、空気が後ろに向かって噴出したと思われるが、生存者は白い霧は一瞬で消え、気温の変化はなかった。圧力隔壁に破損があったとしても、ごく小さなものだったと考えられます。

米国ボーイング社は最初は責任がないと言っていましたが、突然圧力隔壁の修理のミスを認めました。事故の原因を圧力隔壁の修理ミスとしてJAL123便の固有の事故にしてしまおう、と考えたと思われます。

それ以外に原因が見つかれば、すべてのボーイング社の旅客機を調査しなくてはいけなくなります。そうなればボーイング社の飛行機に乗る客は激減すると考えられます。これが、ボーイング社がミスを認めた理由ではないかと。

米国では故意のミス以外は罪に問われることはないのだそうです。どういうこと??ですよね。日本の検察は修理をした人を探して3名を起訴しましたが、結局全員不起訴になったそうです。。。

しかし、人間は気圧の変化に弱いのですね。ですから、もし機内で急減圧が起きていたとしたら、酸素不足で思考力が低下して手足の動きも思い通りに行かなくなりますし、とマイナス20℃の寒さで10分以上にわたって飛行機を操縦することは不可能です。ですので、圧力隔壁が損傷して急減圧が起きたというのはちょっと無理がある理由になります。

ここでボイスレコーダーです。事故後に文章の形で公開されましたが、あるジャーナリストが2000年にカセットテープの形で入手して公開しました。しかし、内容は明らかに改ざんされた状態の物だったようです。

どうも、ボイスレコーダーには知られたくない何かがあったようですね。圧力隔壁破壊説を否定するような会話が出てきていたら困るので、改ざんしたのでしょうか?

 

自衛隊偵察機

自衛隊は偵察機を2機飛ばしているので、米軍に教えてもらうまでもなく墜落場所を特定していたはずです。そしてその時すでに政府は自衛隊の大失策を隠ぺいすると決めていた可能性が考えらえれますね。

JAL123便に追いついた偵察機を御巣鷹山の住民たちも見ています。上野村の小学校では校長先生が事故が起きた当日に見たことを作文に書くように指示していて、それが今でも文集として残っています。

・飛行機が追っかけっこをしていた
・ニュース速報が流れた時、家の近くで飛行機が3機飛んでいた
・18時45分頃南の空からジェット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んできてその後ジェット機2機は埼玉県の方へ行ってしまいました
・飛行機が燃えながら落ちていた
・飛行機に向かって閃光が走っていた

多くの子供がJAL123便が墜落する18時56分より前にジェット機と飛行機を見ています。はっきりとジェット機2機と書いている子供もいるわけです。

墜落する前にJAL123便の機長は管制塔だけではなく、別の誰かと話をしていた可能性があります。短い言葉で管制塔とやり取りしている中で、急に敬語になる部分があります。「このままでお願いします」これが2回繰り返されています。管制塔は話がかみ合わないので、「何ですか?」と聞き返しています。

JAL123便の機長は元々自衛隊出身であったことから、会話の相手が自衛隊のジェット機のパイロットではないかという可能性が考えらえるのですね。

おそらく飛んでいるJAL123便の機体には無人標的機のオレンジ色が付着していたのでしょう。その証拠を公にするわけにはいかないので、自衛隊のジェット機のパイロットは横田基地への着陸を許可しなかったものと思われるのですね。

それでも、JAL123便の機長は乗客を守るためでしょうか、長野県の平らなレタス畑を低空飛行していました。もしかすると、このレタス畑への着陸を試みようとしたのかもしれませんが、残念ながらそこには農家の方々がまだ農作業をしているところでした。それが見えたので着陸を諦めたのかもしれません。もしかすると、そのレタス畑ですら自衛隊のジェット機に着陸を阻まれたのかもしれません。

 

墜落現場の状況

ここからちょっと記載内容が厳しめになってきます。

・墜落現場には手足頭がない遺体が転がっていた
・墜落の際に起きた火災で焼けた遺体がほとんどであった
・遺体を鑑定した医師、歯科医師はまるで遺体を二度焼きしたようだと言っていた
・飛行機の燃料はケロシンという灯油に近い成分で1万メートル上空でも凍らない低分子な成分であり、燃えてもそれほど高温にならない
・現場はガソリンとタールの匂いがした(生存者を見つけた上野村の消防団の人たちの話)
・飛行機の燃料からそのような匂いが出ることはない
・4人の生存者は機体後部に乗っていたために火災に巻き込まれなかった
真っ黒に炭化した遺体は火炎放射器を使わなければここまでは炭化しないというほどの焼け方だった
・炭化した遺体が接している木は全く焦げていなかった
遺体を裏返したら裏側は全く焼けていなかった
・機長の制服はほとんど焼けていなかった
・火炎放射器は自衛隊しか持っていない
・墜落した当日の夜、地元の消防団が山に登ろうとしたら警察に止められた
・墜落位置を知っている警察・機動隊・自衛隊は朝まで救助活動を行わなかった
・TVは相変わらず墜落現場は長野県小倉山と報道していた

さらに続きます。

・地元の住民の中にはTVの報道に諦めをつけて、自分たちで現場に向かった人もいた
・その中の一人は事故が起きてからすぐ、友人2人とバイクで御巣鷹山の山頂を目指した
・その彼らの後ろを白バイが付いてきた
・彼らが山道を7時間かけて登ると朝の4時前後で周辺は夜が白み始めていた
・警察より先に到着するとそこには自衛隊員が100人近くいた
・自衛隊員は生きている人たちの手当てをすることはなく暗視ゴーグルで地面に落ちているものを拾っていた
・13日朝7時頃から本格的な救援が始まったが現場では誰の声もしなかった
・生存者4名を発見し救助したのは、自衛隊や警察ではなく上野村の消防団だった
・新聞は当初生存者は8名と報じていた

・火災に巻き込まれてうめき声を上げていた人たちはなぜ炭化するまで徹底的に焼けていたのでしょうか?
・災害時に命がけで被災者を助ける義務がある自衛隊員はそういう人たちを放っておいて何を拾っていたのでしょうか?
・政府は何を隠したかったのでしょうか?
・政府は自衛隊にどのような指示をだしていたのでしょうか?
・上野村の消防団が救助した生存者4名は、上野村の消防団がいなかったらどうなっていたのでしょうか?

 

524人の命乞い

小田周二さんはこの事故でお子さん2人、親戚3人を亡くされています。

524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎 [ 小田周二 ]価格:1540円
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感想(9件)

この本には以下のことが書かれています。

・JAL123便が横田基地にもレタス畑にも着陸させてもらえなかったこと
・自衛隊のミサイルがJAL123便を撃墜したこと
・JAL123便はコクピットの3人が知恵と力を振り絞って飛行していたこと
・横田基地に着陸するつもりで車輪も出していた
・それを妨げていたのは自衛隊のジェット機だった
・ボイスレコーダーの最後の方で機長は激しい息遣いになっているが、自衛隊のジェット機のパイロットと会話していたからではないか?と推測している

ここからはえびすの感想です。自衛隊のオレンジ色の失態を日本がもみ消そうと動いていて、米国はそれに連携しているように見えますが、本当に自衛隊の失態が起点だったのでしょうか?と思うくらいに、このJAL123便には重要人物が集まりすぎていないですかね?

#258 Microsoft創業者ビル・ゲイツの思想」でも記載しましたが、1980年代、日本はハード、ソフトともに世界の最先端だったわけです。そして、ソフト面で世界の最先端を走っていた国産OS「TRON」の開発メンバー17名がこの日航機に乗っていました。

結果として、MicrosoftのWindowsが世界のPCのOSとして牛耳る状況になっています。

どうもね、支配者が絵を書いていて、こうやったら日本人はこう動くってことが分かった上で、日本人が動かされているような気がしますね。支配者の常とう手段ですよ「(我々に危険が及ばないように)代理人に代行させよ」そして対立を作っていくのです。

先の著者の小田氏は日本政府や自衛隊に疑問を持っているのではないかと思いますが、たぶん所詮、傀儡(くぐつ)と羊飼いか羊でしかないのかな、そこらへんの思考は結局支配者の思う壺なんだろうなと思います。

今日のTwitter(三丸さーや)

久々のさーやさんです! 寒くなる前に出しておいた方がいいかなって写真です♪

https://twitter.com/saaya_1107/status/1697808811850101166?s=20

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